北京オリンピックまで残りわずかとなりました。
そこで今回は、
スピードスケート女子500m・1000mに出場する
小平奈緒選手について調査しました。
それではさっそく行ってみましょう。




小平奈緒と李相花のエピソードや韓国の反応は?
前回の平昌オリンピックで、オリンピック日本女子スピードスケート史上初の金メダル獲得した小平奈緒選手。
500mで金、1000mで銀という素晴らしい成績を残しました。
また、バンクーバーオリンピックから4大会連続出場となります。
「小平奈緒選手ってどんな人?」
ということで、まずはプロフィールからいきますね~。
小平奈緒プロフィール
名前 | 小平奈緒(こだいらなお) |
生年月日 | 1986年05月26日 |
出身地 | 長野県茅野市 |
身長 | 165㎝ |
所属 | 相澤病院 |
趣味 | 日向ぼっこ、お散歩、語学(オランダ語)、 料理、コーヒー |
動画もありました。
長野県茅野市出身の小平奈緒選手。
茅野市は、東京から電車で2時間ほどで、長野県のほぼ真ん中にあるそうです。
長野県のこの辺りです。↓
趣味が語学(オランダ語)ということですが、オランダメディアの対応はオランダ語でするなど、趣味の範囲を超えているそうです。
小平奈緒と李相花のエピソード
前回の平昌オリンピックで、2人の感動的な友情が記憶に新しいですが、2人の出会いは20年近く前に遡るんですね。
小平奈緒選手と初めて会ったのはいつですか?

中学生の時でした。毎年韓国と日本で交互に親善試合をしていました。彼女から話しかけてきたんです。「親善試合の時、会ったけど覚えてる?」って。うっすら覚えていて、その時から親しくなりました。
中学生の時に知り合い、仲良くなった二人。
またお互いの家に行ったりもしたそうです。



「2007年頃に彼女が私の家に遊びに来てくれました。すごく仲が良かったので誘ったんです。それに、私が日本に行った時はいつも面倒を見てくれます。和食が好きな私のために、日本食も送ってくれるんですよ。特別な友達です」
ここまで仲が良いとは思いませんでした。
またこのようなエピソードも↓
ソウルで開かれた過去のW杯で李を初めて破り、優勝した際のエピソードを披露。帰路を急ぐなか、李が空港までのタクシーを手配し料金を支払ってくれたと明かし、「悔しいはずなのに助けてくれた。人としても選手としても尊敬できる」と話した。
引用元:産経新聞
この当時、オランダ留学1年目の小平奈緒選手は、所属する相澤病院からのサポートは受けていたものの、オランダのプロチームに加わるためには相応の費用がかかっており、貯金を取り崩しながらの武者修行だったそうです。
それを知ってか知らずか、李相花さんは心遣いを見せたんですね。
人間性が素晴らしいですね。自分が負けた試合でなかなか出来る事ではないかと思われます。
2019年10月12日に李相花さんが結婚した際には、お祝いのメッセージを送ったそうです。
小平奈緒の韓国の反応は?
前回の平昌オリンピックで、小平奈緒選手の行動には韓国の人たちからも、その人間性を評価する声が多数聞こえてきました。
韓国のネットを和訳したものです。↓
疾走を終えた彼女は、しばらく喜ぶ姿を見せた後、右手の人差し指を口につけた。自分を応援する日本の観衆に静粛をお願いした。次のターンは李相花であった。
小平はゲーム中の李相花を配慮する姿をみせた。金メダルが確定される瞬間セレモニーは簡単にして日の丸を身にまとった後、手を振って、トラックを回った彼女は李相花に近づいていった。小平は李相花を抱きよせて、李相花は小平の懐に抱かれた。
李選手の快挙を心待ちにしていた韓国ファンも、小平の金メダルを祝福した。順位が確定した直後、涙を流す李を、小平がだきしめる姿に感動したというツイートが相次いでいる。
韓国のネチズンたちはこの場面をキャプチャして「素晴らしい人柄」というタイトルをつけて、オンラインコミュニティに拡散させた。
事実李相花のために観客に静粛を要求したかは定かではない。ただしレースを控えた選手たちに邪魔にならないように喜びを大げさに表出しないことが記録競技選手たちにはマナーに通じている。
引用元:steemit
実に感動的な場面でした。これまでも五輪では人々の心を胸打つ名場面が多々見られたが、何かと因縁深く摩擦が消えなかった日韓両国の間に「真の友好」を印象付けるシーンが生まれたのは初めてではないでしょうか?。
TWICEやNizuUなどが所属する芸能事務所のCEOで歌手のパク・ジニョンさんは、
とインスタグラムに書いていました。
2019年4月7日、韓国の「2018平昌記念財団」は、五輪の遺産を後世に伝えるという財団の活動趣旨に合うと判断し、小平と李相花に「韓日友情賞」を授与しました。
小平奈緒の生い立ち
3歳からスケートを始めた小平奈緒選手。
小学5年時の長野五輪での清水宏保選手の活躍を目の当たりにし、益々スケートにのめり込みます。
地元で開かれた長野五輪以来、小平奈緒選手にははっきりと目標ができていたそうです。
小学校の卒業文集に「五輪選手になる」と書きました。父の安彦さんは「『なりたい』ではなく『なる』。もう親と一緒にいる時期ではない」と指導者を探し、競技一色の生活へと娘を後押ししたんだそうです。
夜中までスケートの練習に打ち込みました。
茅野市立北部中学校2年の時、500mの中学記録を更新しました。
伊那西高等学校進学コース入学。スケート部は無く同好会で活動していました。高校時代のインターハイでは500m、1000mの二冠達成も果たしました。
高校では実家を出て、下宿やアパートで一人暮らしもしていたんだそうです。
2005年結城匡啓コーチ(清水宏保選手のコーチ)の指導を求めて、信州大学に進学しました。
なんと一般入試で入ったそうです。
特訓と試行錯誤を重ね、各種大会で活躍しました。
卒業後2009年松本市内の相澤病院に就職し、現在も相沢病院所属です。
とこのように、ずっと地元の長野県で活動なさっています。
またソチオリンピック後、相澤病院に籍を置いたまま、オランダに1年間の予定で練習の拠点を移した。ヘーレンフェーンに本拠を置くプロチーム「Team continu」で活動する。1年間の予定でしたが、オランダに2年間滞在しました。
オランダに行ったことで、国際大会で優勝するなど世界でも戦える選手となったそうです。
小平奈緒の実家は?
八ケ岳のふもとに位置する長野県茅野市で生まれ育った小平奈緒選手。
家族は、
父・・・安彦さん(66)
母・・・光子さん(66)
ご両親の動画がありました。
お母様にとても似ていますね。
また小平奈緒選手は、三姉妹の末っ子なんだそうです。
長女・・・千佳さん
次女・・・真衣さん
とても仲が良いそうです。
前回の平昌オリンピックで茅野市役所を訪れた際、前茅野市市長の柳平千代一さんと父の安彦さんが幼なじみという縁で「おじちゃんと呼んでしまう」とも話していました。地元でも愛されている選手ですね。
また、茅野市運動公園国際スケートセンター「NAO ice OVAL(ナオ・アイス・オーバル)」で、関連グッズが展示されています。期間は未定だそうで気になる方は、早めに行かれることをお勧めします。
※このスケートセンターの命名の由来となったのはもちろん小平奈緒選手です。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は、
小平奈緒と李相花のエピソードは、お互いの家を行き来する仲
小平奈緒の韓国の反応は、2人の友情に感動した人多数で、小平奈緒の人柄を称える声も多数
小平奈緒の生い立ちは、長くなるので割愛します。
上記をご覧ください。
小平奈緒の実家は、長野県茅野市でご両親とお姉さん2人の5人家族
ということがわかりました。
女子スピードスケート
500m・・・2022年2月13日(日)22:56~(日本時間)
1000m・・・2022年2月17日(木)17:30~(日本時間)
の予定となっています。
皆さん応援しましょう!
最後までお読みいただきありがとうございました。






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